平家物語・巻第八(原文・現代語訳)

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■ 平家物語・巻第八
あらすじ  都落ちした平家は太宰府を根拠地として勢力の挽回を企図したものの、豊後の緒方惟義に追われて讃岐へと辿り着く。一方、朝廷では後白河法皇が、安徳天皇に代わって後鳥羽天皇を即位させ、新たな政権の枠組みを構築する。武勲に伴う論功行賞として、源義仲は朝日将軍に、源頼朝は征夷将軍に叙せられた。しかしながら、義仲とその一党の振舞いは横暴を極めるとともに、水島、室山の合戦で相次いで平家に敗れたことにより、朝廷からの信用を一気に失ってしまう。そしてついに、朝廷と義仲との関係は破綻し、義仲は法皇の御所、法住寺殿を攻撃する。法皇を下して意のままに操ることに成功した義仲であったが、都へ迫る頼朝の軍勢を迎撃するためには、平家との同盟締結を画策せざるをえない苦境に陥っていた。
□ 平家物語・巻第八の原文・現代語訳(口語訳・解釈)
山門御幸 寿永二年七月二十四日夜半ばかり…』:後白河法皇、比叡山に避難
  同二十八日に法皇、都へ還御なる…』:後白河法皇、木曽義仲を従え、京都に戻る
  法皇は、主上外戚の平家に捕らはれさせ給ひて…』:後白河法皇、尊成親王を皇位に即ける
  御母儀は、七条修理大夫信隆卿の御娘なり…』:藤原信隆、天皇の外戚となる
  中にも、四の宮は…』:後鳥羽天皇、藤原範光の功績に報いる
名虎 同八月十日、院の殿上にて除目行なはる…』:平家の官職が剥奪される
  昔、文徳天皇は…』:清和天皇、即位の際の故事
  やがて相撲の節あるべしとて…』:能雄、相撲で名虎に勝ち、惟仁親王が即位
  平家は、西国にてこれを伝へ聞き…』:平家、尊成親王の即位を九州において知る
緒環 さる程に、筑紫には内裏造るべきよし沙汰ありしかども…』:安徳天皇の宇佐八幡宮行幸
  さる程に、九月も十日あまりになりにけり…』:都を懐かしむ平家諸将の歌
  豊後国は…』:緒方維義の始祖伝説
  女、岩屋の口にたたずんで聞けば…』:女のもとに通う男の正体
  女、帰つて程なく産をしたれば…』:大蛇の子孫、緒方維義
太宰府落 平家、今は都を定め内裏造るべきよし沙汰ありしに…』:平資盛、緒方維義の懐柔に失敗
  維義が次男…』:平家、維義を攻撃するも敗退
  平家は、緒方三郎維義が…』:平家、維義の進攻を前に太宰府から撤退
  原田大夫種直は…』:原田種直の離反と平清経の入水
  長門国は…』:屋島の沖に漂う平家一門
征夷将軍院宣 さる程に、鎌倉の前右兵衛佐頼朝…』:源頼朝に征夷将軍補任の院宣が下る
  院宣の御使…』:頼朝、征夷将軍となる
  次の日、兵衛佐の館へ向かふ…』:中原康定、頼朝に臣従を誓約
猫間 康定都へ上り院参して…』:源頼朝と木曽義仲の都における評価
  ある時、猫間中納言光隆卿といふ人…』:義仲と猫間光隆
  木曽は、官加階したる者の…』:義仲と牛車
水島合戦 平家は、讃岐の屋島にありながら…』:木曽義仲の水軍、平家に惨敗
瀬尾最期 木曽の左馬頭、これを聞き…』:瀬尾兼康の執念
  瀬尾が嫡子小太郎宗康は…』:瀬尾兼康、倉光成氏を騙し討ち
  福隆寺縄手は…』:福隆寺縄手の戦い
  瀬尾太郎、ただ主従三騎に討ちなされ…』:瀬尾兼康、倉光成澄を討ち取る
  小太郎は、足かばかり腫れて伏せり…』:瀬尾兼康の最期
室山 さる程に、木曽殿は備中国万寿の庄にて勢揃へして…』:木曽義仲と源行家の不和
  十郎蔵人行家、五百余騎で喚いて駆く…』:源行家、平家に敗れ、河内長野へ退却
鼓判官 およそ京中には源氏みちみちて…』:平知康の讒言
法住寺合戦 たとへば、都の守護してあらむ者が…』:木曽義仲、後白河法皇に叛旗を翻す
  さる程に、搦手にさし遣はしたる樋口次郎兼光…』:後白河法皇方の敗北
  木曽を背いて院方へ参つたる…』:後白河法皇方の悲喜劇
  法皇は、御輿に召して他所へ御幸なる…』:木曽義仲、後白河法皇を幽閉
  源蔵人の家子に…』:源仲兼、藤原基通とともに都落ち
  明くる二十日、木曽左馬頭…』:木曽義仲による戦後処理
  同十一月二十三日…』:源頼朝、木曽義仲追討軍を派遣
  木曽左馬頭、平家の方へ使者を奉つて…』:木曽義仲、平家との同盟を画策
 
※注) 源頼朝が征夷大将軍に任ぜられたのは建久3年(1192)のことであり、寿永2年(1183)とする巻第八の内容は史実と異なります。
 
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