土佐日記(原文・現代語訳)

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■ 土佐日記 ― 全文全訳(対照併記)
 
土佐日記  平安中期に成立した日本初の仮名文日記。1巻。紀貫之作。承平4年(934)年12月21日に、国守として赴任した土佐を出発し、翌年2月16日に、京の自宅に帰るまでの出来事を、和歌を交えながら記した。男性である紀貫之が、作者を女性に仮託して、当時、女文字とされた仮名文字を使用したことに特色がある。
紀貫之  868頃〜945頃。平安前期の貴族、政治家、歌人。三十六歌仙の一。大内記、土佐守、木工権頭などを歴任。紀友則らとともに古今和歌集を撰集し、仮名序も記す。歌人としての名声とは裏腹に、60代で土佐守となるなど昇進は遅く、政界では不遇であった。著『土佐日記』、『貫之集』、『大堰川行幸和歌序』、『新撰和歌集』。『人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける』は小倉百人一首の35番。
→ 小倉百人一首(35番 紀貫之)
□ 土佐日記の原文・現代語訳(口語訳・解釈:全訳)
承平4年(934)
12月21日 男もすなる日記といふものを…』 : 冒頭。門出。土佐の国府を出発。
12月25日 二十五日。守の館より…』 : 新任の国守から供応を受ける。
12月27日 二十七日。大津より…』 : 土佐の大津から浦戸、そして大湊へ。
承平5年(935)
1月1日 元日。なほ同じ泊なり…』 : 大湊で迎える正月。
1月7日 七日になりぬ…』 : 悪天候による大湊での足止め。
1月7日(続) かくて、このあひだに…』 : 歌の下手な来客と上手な子供。
1月8日 八日。障ることありて…』 : 大湊から奈半へ出港。
1月9日(続) かくて、宇多の松原を…』 : 名勝、宇多の松原と夜間の航行の恐怖。
1月10日 十日。今日はこの奈半の泊に…』 : 奈半から室津へ。
1月13日(続) さて、十日あまりなれば…』 : 天候不順で室津に停泊。
1月17日 十七日。くもれる雲なくなりて…』 : 出港するも、天候不良により、再度、室津に寄港。
1月20日 二十日。昨日のやうなれば…』 : 月を見て、阿倍仲麻呂を想う。
1月21日 二十一日。卯の時ばかりに…』 : 室津を出港。
1月22日 二十二日。夜んべの泊より…』 : 海賊対策としての神頼み。
1月27日 二十七日。風吹き…』 : 鳴門の土佐泊へ。
1月30日 三十日。雨風吹かず…』 : 四国を去り、和泉の灘へ。
2月4日 四日。楫取…』 : 天気予報を外す船頭。
2月5日 五日。今日、からくして…』 : 和泉の灘から住吉へ。
2月5日(続) かく言ひて眺めつつ来るあひだに…』 : 遭難の回避を住吉の明神に祈る。
2月6日 六日。みをつくしのもとより出でて…』 : 難波へ。
2月7日 七日。今日、川尻に…』 : 淀川を遡上。
2月9日(続) かくて、舟曳き上るに…』 : 渚の院を見て、在原業平の歌を思い出す。
2月11日 十一日。雨いささかに…』 : 山崎に至る。
2月16日 十六日。今日の夜さつかた…』 : 桂川を渡る。
2月16日 夜ふけてくれば…』 : 帰京。そして、土佐で亡くした娘への思い。
(注) 土佐日記の各章段は当サイトにおける便宜上のものです。
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