平家物語の旅

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平家終焉の地(滋賀県野洲市大篠原)
 1185( 元暦 2) 年6月21日、平家の棟梁、平宗盛は、鎌倉から京に護送される途中、源義経に命じられた橘公長によって、この場所で斬首されました。享年39。平家物語の冒頭で語られる二つの言葉、諸行無常・盛者必衰を象徴するかのように、かつての栄華とはかけ離れた寂しい場所での哀れな最期でした。
 そして、近くには、源義経元服の地があります。
源義経元服の地(滋賀県蒲生郡竜王町鏡)
 両所は、同じ道沿いにあり、約 1km しか離れていません。
 平家物語では触れていませんが、義経は、元服の地で本懐を遂げたことになります。この行動から、義経にとっては、日本中を巻き込んだ前代未聞の内戦も、自分の遺恨を晴らすためだけの戦いだったということがわかります。鎌倉からの護送中、父、義朝が殺された尾張は通過しているので、仇討ちですらなかったのです。義経以外、誰一人として思い入れのない場所で敵の総大将を処刑するのですから、周りが全く見えていません。後年、徳川家康が、関ケ原の戦いの後に石田三成を京で処刑したような宣伝効果も考えなかったのでしょう。天才戦略家と言われる義経ですが、政治の能力は皆無でした。また、頼朝や坂東武者から危険で邪魔な人物だと思われているという意識が希薄であったため、彼らと無用な対立を繰り返し、人望もありませんでした。その結果、義経は、1189( 文治 5) 年、頼朝の意を受けた藤原泰衡によって、奥州平泉で自害に追い込まれたのです。
  平家終焉の地と源義経元服の地は、おごれる人やたけき者の末路を今に伝えています。まさに、平家物語が凝縮された場所です。
(平家終焉の地は、 JR 西日本東海道本線篠原駅から南へ約 2km )
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