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恋すてふ ― 「てふ」は、「といふ」がつづまった形。直前には会話文・心内文などがあり、伝聞を表す。 |
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わが名はまだき立ちにけり ― 「名」は、噂・浮き名。「まだき」は、早くもの意を表す副詞。「立ちにけり」は、平兼盛の歌(40番)の「出でにけり」と同じ用法で、今初めて気づいたことを表す詠嘆の助動詞。この場合、誰にも知られないように恋心をいだきはじめたのに、気がついたら早くも噂が立っていたことを表す。 |
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人知れずこそ思ひそめしか ― 「こそ」と「しか」は、係り結び。「知れ」は、下二段の動詞「知る」の未然形で、知られるの意。「ず」は、打消の助動詞「ず」の連用形。「知れず」で、知られないようにの意。「こそ」は、強意の係助詞。「思ひそめ」は、「思ひ初め」で、思いはじめるの意。「しか」は、過去の助動詞「き」の已然形で「こそ」の結び。この場合は、倒置法が用いられているため、「〜たのに…」という逆接の意を表し、上の句にかかる。 |
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三句切れ・倒置法 |
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『拾遺集』の詞書によると、この歌は、40番の平兼盛の歌とともに、天徳4年(960年)に村上天皇の御前で行われた歌合、いわゆる、天暦の御時の歌合(天徳内裏歌合)で、「恋」を題として優劣を競った歌である。しかも、この歌合の最後の勝負、いわばエース対決として戦った歌であり、判者の藤原実頼も優劣つけがたく、持(引き分け)にしようとした。しかし、天皇が「しのぶれど」と口ずさまれたことから勝敗は決し、兼盛の勝ちとなった。この敗戦が原因で、忠見は、拒食症に陥り病死したと『沙石集』は伝えている。この逸話の真偽は定かではないが、当時の人々の歌合に対する思い入れが並々ならぬものであったことは、うかがい知ることができる。ちなみに、天徳内裏歌合の二人の直接対決は、2勝1敗で忠見の勝ち、団体戦でも忠見が属する左方が10勝5敗5分(そのうち忠見は、2勝1敗1分)で勝っている。対する兼盛は、4勝5敗1分で負け越し、右方の勝利に貢献することはできなかった。 |