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嘆きつつ ― 「つつ」は、反復・継続を表す接続助詞。「〜ながら」の意。 |
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ひとり寝る夜の ― 「の」は、主格の格助詞。「(夫が訪れず)一人で寝る夜が」の意。『拾遺集』の詞書には、「入道摂政(兼家)まかりたりけるに、門を遅く開けければ、『立ちわづらひぬ』と言ひ入れて侍りければ」とあり、『蜻蛉日記』には、夫に他の妻ができたことを知った作者が、その来訪を知りながら決して門を開けようとせず、新しい妻の家へ立ち去ってから、しおれかけの菊とともに贈った歌とある。いずれにせよ、この歌の背景には、夫に別の妻ができたことに対する嫉妬が存在する。また、それが道綱を出産して間もない時期であったため、一層、精神的な負担を増大させていたことがうかがえる。もっとも、藤原道綱母自身が兼家の妻とはいえ、実質的には第二夫人であり、藤原中正の女が産んだ道隆、道長が兼家の後を継ぐこととなった。 |
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明くる間は ― 「は」は、強意の係助詞。「明けるまでの間は」の意。 |
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いかに久しきものとかは知る ― 「かは」と「知る」は、係り結び。「いかに」は、程度をたずねる疑問の副詞で、「どれくらい」の意。「と」は、引用の格助詞。「かは」は、反語の係助詞。「知る」は、ラ行四段の動詞「知る」の連体形で、「かは」の結び。 |
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兼家からの返歌は、「げにやげに 冬の夜ならぬ 真木の戸も 遅く開くるは わびしかりけり」であった。現代語訳すると、「ほんとにほんとに、冬の夜明けではないが、門が開くまでに時間がかかるというのは、寂しいものだよなあ」となる。この歌に用いられた過去の助動詞は、直接体験の「き」ではなく、詠嘆の「けり」である。すなわち、自分が寂しかったのではなく、妻の歌を読んで、そうした状況が寂しいものであると初めて気がついたということを表している。これによって、どこか他人事であるかのような雰囲気を醸し出すとともに、寂しいのはお前だけだという皮肉を込めている。ここからは推測の域を出ないが、仮に、不明である藤原道綱母の本名が“まきこ”であった場合、当時は極めて親しい女性以外の名前を呼ぶ習慣がないことから、その名を掛詞に用いることで、新しい妻ができても、お前は他人ではなく俺の妻だということを暗示しているのかもしれない。 |